クリスマスっぽくない

なにか今年は、自分自身の感じも、他の人の感想もクリスマスっぽくない感じだ。

なぜなのかな。

何かが変はったやうな。

日本の神様ブームで、キリスト教的な要素は特にいらなくなったからか。

経済的な事情か、社会的な事情か。

大雑把にいへば、人々の意識が変はったのかもしれない。

「わくわく」雑考2

このブログは、たいがい酔ってゐるときしか書かないが(苦)、今回も適当に書いてみよう。

「わくわく」はアドレナリンを誘発し、交感神経を活発にするけれど、現代社会はストレスだらけで、もうはち切れんばかりだ。
でも発散できず、抑圧して生きてゐる。鬱々とした状態だ。
 太古であれば、叫び声を上げ、土人の踊りのやうなことをして、アドレナリンを発散してきたが、今は、そして日本人は叫び声をあげられない。他人の目を気にしてしまふ。

 僕は家のなかで物にあたり、壊したりしてゐるが、それでも満たされない。上下の階の部屋に迷惑を掛けてゐるやうだが(苦)。

わくわく感が足りないのか。浄化(カタルシス)ができてゐないのか。

現代社会において、社会の中に、感情をストレスを解放するシステム?が組み込まれてゐない。
さういふ意味では、太古のはうがよっぽど健全だ。

たぶん、太古のはうが自分と自然の中心につながってゐたのだと思ふ。

われわれはみな土人ではないか。
そして宇宙を駆け巡る存在でもある。

宮澤賢治に乾杯!

「わくわく」について

弊社から『地球人革命』を出させていただいてゐる、鎌倉の超人気の医師でありスーパーカイロプラクターの松久正先生は、最近のブログで「「わくわく」生きるんじゃない「ぷあぷあ」生きるんだ」といふことを書かれてゐます。面白い考えだなぁと思ひます。
松久先生は、松果体が活性化されてゐるやうで、宇宙情報をキャッチしてゐるやうです。
来年は「ぷあぷあ」が流行語になるかもしれません。

松久先生のブログを読んでゐて、僕なりの意見といふのが浮かびました。

「わくわく」というのは、バシャールが最初に言って、それが日本人に受けて広まった概念です。
ヴォイスさんは、いまだにバシャール本を出していて、バシャール人気は続いてゐるやうです(笑)。

「わくわく(exciting)」といふのは、アドレナリンを分泌し、交感神経を活動させることと言へます。
それだけであれば、バランスを崩すと思ひます。「ゆったり」「平静」の副交感神経の活動も必要だと思ひます。
「わくわく生きればいい」といふのは片手落ち。時に「わくわく」、時に「平静」に。

バランスがとれてゐないだけでなく、「わくわく」にはある種の軽さがあります。軽薄な感じの軽さ。なんなのだらうと思ひます。

タオ(道)には、「わくわく」といふものがないやうに思ひます。無為自然。泰然と流れる何か。
愛にも「わくわく」はないか。

日本酒ルネッサンス、あるひは日本の文化復興

立て続けにこのブログを書いてゐるが(苦笑)、
まあ、何でもよい。

日本酒もひと頃(十年か何十年か前)は、まずかったが、今は美味しい日本酒が多くなった。
酒蔵が結構がんばってゐるやうだ。

日本の伝統がすたれつつあるとテレビとかでずっと言はれてきてゐたが、
でも、しっかり伝統を受け継ぎ、今の時代にもあったものを作る人々がゐる。

その人たちの顔を見ると、みんないい顔をしてゐる。

何か、どこかで、救はれてゐるやうな気がする。

本当は今、伝統は受け継がれ、息づき、現代にあったものを提供し、われわれに語りかけてゐるのだ。

一瞥から大悟へ

全然タイトルと関係がないけれど、忘年会をしても忘年会といふ気分がしない。クリスマスに近づいてゐるけれど、全然クリスマスっぽくない。何かが変はったか? 何かが変?

今度の15日に非二元(ノンデュアリティ)の大御所のトニー・パーソンズの『オープン・シークレット』が発売になる。

トニー・パーソンズは、21歳のときに公園で一瞥体験をし、その後、ヨガやOSHOラジニーシのところに行ったり、いろいろして30年後に、解放(大悟)に至った。
大燈国師は、一瞥後、京都の橋の下で乞食と共に20年過ごして、一人前になった。

一瞥しただけでは十分ではない。
悟後の修行をして、本物になる。

日本の覚醒者(一瞥者?)は、どうなのかな?

昔の禅師みたいでもないし、西洋の覚者といふ感じでもないし、中途半端?

覚醒(一瞥やトランス)と生活との一致をだうするか。。。

星へ

よくライトワーカー(スターピープル)は、夜空を眺めて「星に帰りたい」といふ。
僕にはさういふ氣持ちはない。
さういふ意味では、僕はスターピープルではない。
実家や故郷にあまりいい記憶やイメージがないから、故郷へ帰りたい意識もないのかもしれない。
帰ってだうするの?といふ気持ち。
むしろ夜空は、宇宙は、冒険の、開拓のフィールドだ。冒険心がくすぐられる。
『スタートレック』では冒頭で「宇宙、それは最後のフロンティア」といふフレーズが流れるが、
そのやうなものだ。
それに『スターウォーズ』のやうな宇宙での冒険活劇が好きだ。
いろいろな宇宙人がゐて、酒場で飲みあって、いろいろな星があって、いろいろな生物がゐて。

覚醒剤と覚醒

歌手が覚醒剤を使ってゐたかだうかで捕まったやうだが、覚醒剤と覚醒は名前は似てゐるが全然違ふものだと思ふ。

覚醒剤で得るものとは幻覚なのかなと思ふ。歌手が使って気持ちよくなるのであれば、ある種の興奮や恍惚のやうなものなのだらうが、覚醒(悟り)には興奮は伴はない。静けさの中に喜びがあるといふ意味では恍惚(忘我・エクスタシー)的な要素もあるが、むしろ至福とも呼ぶべきものだと思ふ。

覚醒剤にはいろいろ種類があって、作用もまちまちなのかもしれないが、中南米の先住民もサボテンやアヤワスカによって幻覚を起こし、秘儀?を行なってゐた。
さういふ幻覚によって、何を得やうとしたのか?
この現実を超える?

覚醒(悟り)は幻覚とは異なる。

日本は遅れてゐるが、大麻は、オランダやアメリカで国から認められてきてゐて、世界的な方向としては大麻は認められ方向にある。日本もいずれその流れに沿うことのなるだらう。
日本は、アメリカに占領されて大麻を禁じられ、そのアメリカが最近、大麻を認めてゐるのだから皮肉なものだ(苦笑)。
大麻なんて、ただの法律の問題だ。善悪とは別の話。法律で合法になれば逮捕者も出ない。

大麻も、でも覚醒とは異なると思ふ。

大麻が何をもたらすか知らないが、さういふものがなくても覚醒(悟り)は起こる。

幻覚剤は、中毒にはなるが生き方を変へない。
覚醒(悟り)は、認識を変へ、生き方を変へる。
神(それ)を認識する。

覚醒剤(幻覚剤)は、神(それ、超越者)を認識するのか?

覚醒剤(幻覚剤)は、中毒になり、社会性がなくなり、国(政府)にとっては厄介でマイナスになるので
取り締まってゐるのだらう。税金ももらえないから。

覚醒剤(幻覚剤)とパソコンのヴァーチャル・リアリティとはだう違ふのか?
似てゐるのかな?
また、覚醒剤(幻覚剤)と小説や映画との違ひは?

もうひとつ疑問なのは、危険ドラッグ(合法ドラッグ、脱法ドラッグ)は合法なのかだうなのか? 法律的には合法のやうだが。合法なのに取り締まるといふのか。危険だけれど法律では禁止にできないものなのか。よくわからない。

覚醒剤にしても危険ドラッグにしても大麻にしても国がらみで問題がいろいろありそうで不鮮明だが、覚醒(悟り)とは何の関係もない(苦)。

国が悟った人間を取り締まったら、大変な世の中になるな(苦)。
過去の日本では、悟った人々に幕府や政府の人たちは敬意をはらってきたけれど。
ヨーロッパの中世では異端とされかねなかったが。

偽善の国

11月23日は、勤労感謝の日といふことだが、何の祝日か不明だ。誰が誰に感謝するのか。勤労とは何か? なぜそんなことを祝ふのか。もとは神道の新嘗祭の日を戦後、占領政策で神道色や天皇色をなくそうとして名前を変へたものだが、ヘンテコな名前だ。不快な印象を受ける名前だ。なぜこんな名前の祝日を作ったのか。そこに偽善性を感じる。僕も偽善者だが、かういふ偽善はきらいだ。
敗戦後、日本は偽善の国になった。
文字も伝統を断ち切った文字になってしまった。敗戦前の文章が読めず、江戸時代も平安時代の文字も読めなくなった。文化が切られた。

敗戦前もいい国ではないかもしれないが。
山形有朋が、統帥権を独立させ、軍国主義の礎を築き、軍部の独走を招いた。
日露戦争以降、民度が下がったのも原因かもしれないが。
民権運動と文化と政治との揺れ動きのなかで戦争に突入し、負けてしまった。
その後は、日本文化の全否定。
(たかが1回負けただけで全否定しなくてもよさそうなのに)
今はその呪縛の延長線の中で生きてゐる。
(アメリカが仕掛けた呪縛か、左翼がそれに便乗してしかけたものか)
そして、その呪縛からの脱却として日本の精神性の見直しの動きもある。
その見直しも、なにか変な感じの動きもある。
本当の意味での見直しを望む。